中国・旧満州生れ、ニューヨーク在住。7歳でクラシックピアノを始める。
1946年 | 家族一同満州から引き揚げ、両親の故郷・大分へ移住。 |
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1948年 | 上京。 |
1952年 | 数々のグループを経て自己のグループ「コージー・カルテット」を結成、当時はまだめずらしいジャズオーケストレーションを始める。 |
1953年 | ノーマン・グランツ率いる「ジャズ・アット・フィルハーモニックが」来日した際ピアニストのオスカー・ピーターソンに認められる。彼の推薦で、ノーマン・グランツは自己のレーベル“ノーグラン”にアメリカジャズ界初めてのFROM JAPAN「TOHIKO’S PIANO」をレコーディングし発売。 |
1956年 | バークリー音楽院(現バークリー音楽大学)より特待生として迎えられ渡米。ニューポート・ジャズフェスティバルに日本人として初めて出演。 |
1958年 | 日本人ジャズプレイヤーとして初めて、ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)のメンバーに迎えられる。マドモアセル誌からアメリカに於ける“テン・ベスト・ウーマン”の一人に選出されマドモアゼル賞受賞。 |
1959年 | チャーリー・マリアーノと双頭カルテットを結成。 |
1961年 | カルテットを率いて帰国公演、その後日米間を定期的に往復。 |
1962年 | チャールス・ミンガスと共演。 |
1967年 | ニューヨーク市のタウンホールで初のソロコンサートを行い、ニューヨークタイムズ紙の批評家ジョン・ウィルソン氏に絶賛される。このコンサートが縁でルー・タバキンと出会う。 |
1970年 | 大阪万国博にルー・タバキンとのカルテットで帰国公演を行う。 |
1972年 | ロサンゼルスに移住。 |
1973年 | 秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成、ジャズオーケストラとしての活動に取り組む。 |
1974年 | 最初のオーケストラアルバム「孤軍」を発表。ジャズディスク大賞銀賞受賞。 |
1975年 | 第1回南里文雄賞受賞(スイングジャーナル誌)。モンタレー・ジャズフェスティバルに出演。 |
1976年 | 「ロング・イエロー・ロード」を発表、ダウンビート誌の国際批評家投票で注目されるタレント部門のビッグバンド、編曲で1位となる。ミナマタを含む「インサイツ」がジャズ・ディスク大賞金賞受賞。 |
1977年 | ニューポート・ジャズフェスティバル出演。 |
1979年 | 「塩銀杏」ジャズ・ディスク大賞銀賞受賞。 |
1980年 | ダウンビート誌の人気投票で、ビッグバンド、作曲、編曲の3部門で1位となる。以後 作曲、編曲部門で7回、ビッグバンド部門で5回1位となる。 |
1982年 | ニューヨークへ戻りバンド名を秋吉敏子ジャズ・オーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキンに変更。 |
1986年 | 自由の女神100年祭”でリバティー賞受賞。 |
1988年 | ルーツ賞ビッグ・バンド・リーダー世界一受賞(ナイジェリアジャズ協会)。 |
1989年 | ヨーロッパの大日本祭「ユーロパリア’89」(開催国:ベルギー)にオーケストラで出演。デューク・エリントン賞受賞(マサチューセッツ大学)。 |
1991年 | カーネギー・ホールで音楽生活45周年記念コンサート開き、ライブ盤も発売。 |
1994年 | オーケストラを率いて来日、日本では12年ぶりに本格的なジャズオーケストラとしての公演を行う。 |
1995年 | オーケストラを率いて、生まれ故郷の中国東北地方(旧満州)にて初公演。 |
1996年 | 米40周年、音楽生活50周年を迎え各方面から様々な企画が持ち寄られる。ヤマハ・ジャズ・フェスティバルは、音楽生活50周年を記念するための特別プログラムを開催。コンコード・ジャズ・フェスティバルでは、秋吉敏子ジャズ・オーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキンがメイン・ゲストとして招聘される。50周年記念アルバム「フォー・シーズンズ」を発売。自伝「ジャズと生きる」出版。ジャズ・ディスク大賞銀賞受賞。 |
1997年 | 紫綬褒章受賞。AVON女性文化センター芸術大賞受賞。 |
1998年 | バークリー音楽大学名誉博士号授与。 |
1999年 | 横浜市文化賞受賞(第48回)。国際ジャズ名誉の殿堂(International Jazz Hall of Fame)入り。 |
2000年 | 東京都文化賞受賞(第16回)。ラトガース大学ジャズ研究所・ニュージャージージャズ協会殿堂入り。“PIANO GRAND ! A Smithsonian Celebration”ワシントンD.Cスミソニアンのピアノ誕生300年記念ガラコンサートに、日本人として唯一招待を受け演奏。 |
2001年 | 広島原爆忌に「ヒロシマ-そして終焉から」と題するレクイエムを初演。 |
2002年 | ニューヨーク日本商工会議所栄誉賞受賞。 |
2003年 | ジャズオーケストラ30周年記念日本公演。ニューヨーク・カーネギー・ホール公演、ブルーノート東京公演、5年前より毎週月曜日演奏してきたニューヨーク・バードランドでの公演を最後に、オーケストラを解散。『もっとピアノが上手くなりたい』と原点であるジャスピアニストに専念。 |
2004年 | NHK人間講座で講師を担当。(私のジャズ物語 ロング・イエロー・ロード)メリー・ルー・ウィリアムス・ウーマン・イン・ジャズ・アワード受賞。渡米以来初めてのSEXTET(6人編成)帰国公演。国際交流基金賞受賞(平成16年度)。旭日小綬章受賞。朝日賞受賞(朝日新聞文化財団)。 |
2006年 | 渡米50周年・音楽生活60周年を記念し、3月カルテットでの日本公演、12月サントリーホールにて自身のビッグバンドを率いてチャリティーコンサート(~今、21世紀の子供たちへ伝えたいこと~)を行う。世界平和を祈念し制作された「HOPE」に詩人・谷川俊太郎氏が詩を書き下ろし、愛娘でありシンガーのMonday満ちる歌唱、自身初のシングルHOPE「希望」をリリース。 アメリカジャズ界最高峰のアメリカ国立芸術基金(NEA)・ジャズマスターズ賞を日本人では初めて受賞。アメリカ音楽界 グラミー賞にノミネート15回。ニューヨークを拠点に活動中。 |